人々の暮らしと生業
つないだ技術

日本のあかをつくる町

紅花が山形に伝わった時期は不明だが江戸時代以前から栽培されていたようで、『邑鑑むらかがみ」によると置賜領内218村中35村、現在の白鷹町域では22村中14村で栽培され置賜最大の生産地であったと推測される。正保3(1646)年には領内の紅花生産の半数以上が白鷹全村で行われていた記録がある。江戸時代になると、保存性が高くより鮮やかな紅が得られる「紅餅」に加工する技術が確立。商人の活躍により「最上紅花」として全国に名を馳せた。紅花(紅餅)は米の100倍、金の10倍という貴重品であった。
 紅花生産は太平洋戦争で一度途絶えるが、戦後、山形文化の篤志家とくしかたちが「山形は紅花の国」と声をあげた。農家に残る在来種の種を育て増やし、生産を再興。白鷹町は紅花を原料とする紅餅、すり花、乱花の生産量が全国シェア6割を超える全国一の生産地となった。鮮やかで艶やかな紅花の紅は、日本の紅。口紅や薬用のほか、古来より日本の伝統的な儀式に使われている自信と誇りが、白鷹紅花の復活を支えた。

深山和紙

藉送の際に紅花や青苧が傷まないよう包み紙に使用されていたのが深山和紙だ。深山地区では農家の冬仕事として紙きが行われていて、その歴史は寛永19(1641)年まで遡ることができる。椿こうぞを蒸し、ひき、練っていく工程、山中に自生するノリウツギを使用するという昔ながらの製法が評価され、県の指定無形文化財になっている。現在の担い手は深山和紙振興研究センターの高橋恵さんただ一人。自然のあたたかみある深山和紙は町内の小中高校、大学の卒業証書にも使われている。

蚕を飼い、紡ぎ、織る

養蚕と白鷹紬

白鷹地区は近世から養蚕地帯で、そこから紬織物という産業が生まれた。蚕の繭から取った真綿を紡いで糸にして、板締めによる染色法で緻密ちみつな文様を表現する「本場米琉」〈白鷹板締小絣〉が「白鷹紬」として、「置賜紬」と総称される経済産業大臣指定の伝統的工芸品に指定されている。板締絣染色いたじめかすりせんしょくは、絣模様を織り出す糸を染める技術で、何本もの溝を彫り込んだイタヤカエデの絣板に糸を巻き付け、幾重にも絣板かすりいたを重ねてポルトで締め、染料をかけて染色する。かつては全国的に広く普及した技術であったが、現在では「小松織物工房」と「白たか織荒砥あらと工房」の2つの工房に残る貴重な技術である。

土地と人とが結びついた暮らし方

稲作が落ち着く7月になると早朝に紅花を摘み、初夏から養蚕を平行して行い、夏から秋にかけては生産されたまゆから糸をり、冬には機織りをしたり和紙を漉すいたりする。白鷹町の人々は農閑期を工夫して生きてきた。養蚕ようさんの衰退とともに生業の構造は変化したが、社会の状況や環境に適応しながら生業を継いできた文化は継続している。優れた養蚕ようさん技術は付加価値の高い天蚕てんさんの飼育へ。白鷹紬は専業化した織物工房で新たな可能性を探求している。
 土地のものを活かし、ここで生きていくための生業を見つけていく、しなやかな強さ。伝統的な仕事の一つひとつ、使われている道具の一つひとつに、そしてものづくりをする人々の姿に、それを感じることができる。

INFORMATION & MAP

紅花の館
〒992-0821 山形県西置賜郡白鷹町十王1707-1
TEL:0238-85-1883
深山和紙振興研究センター
〒992-0776 山形県西置賜郡白鷹町大字深山2527
Tel:0238-85-3426

小松織物工房
〒992-0821 山形県西置賜郡白鷹町大字十王2200
Tel:0238-85-2032
白たか織荒砥工房
〒992-0832山形県西憧賜郡白鷹町大字荒砥乙1202-3
Tel:0238-85-2238

しらたか天蚕の会(事務局:白鷹町商工観光課観光係)
〒992-0892 山形県西置賜郡白鷹町大字荒砥甲833
Tel:0238-85-6136