心に残る故郷の風景
フラワー長井線
フラワー長井線の誕生
山形県南部に広がる置賜盆地の北端を沿うように走る山形鉄道「フラワー長井線」。南陽市赤湯駅から、川西町、長井市を通り、白鷹町荒砥駅まで17駅、約30.5㎞を繋いでいる。1日に12往復、片道1時間ほどの路線で、主に地元高校生の通学や病院へ通う高齢者に利用されている。全線非電化で、ディーゼルエンジンを搭載した気動車が、のどかな田園風景の中を行き来するローカル鉄道だ。
フラワー長井線の歴史は、1913(大正2)年に長井軽便線として赤湯-梨郷間が開通したことからはじまる。翌年に長井まで延伸し、1922(大正11)年に長井線と改称。1923(大正12)年に全線開通している。その後、日本国有鉄道(国鉄)改革に伴い特定地方交通線に選定され、1987(昭和62)年に国鉄からJR東日本に承継された。翌年、長井線の存続のため山形県や沿線自治体等が出資して山形鉄道株式会社が設立され、長井線を第三セクターに転換。公募によって「フラワー長井線」という名称が決まった。
山形鉄道が開業した1988(昭和63)年頃には年間140万人以上の利用実績があったが、現在は年間50万人ほど。利用者数は3分の1まで減少しているものの、7割が高校生であるという比率は今も変わっていない。フラワー長井線はワンマン運行で、客との距離は路線バスのように近い。運転士は、乗客が降りるときに「ありがとうございました」と声をかけられる度、利用者の数は減っていても、一人ひとりにとって大切な足になっている路線の意義と重さを感じている。
鉄道のある風景を守る人
始発は荒砥発赤湯行きの5時38分。いつも決まった時間に走り出す朝の風景、音。フラワー長井線には車窓から望む景色の美しさや、花の名所、ラッピング車両、最上川橋梁など様々な見所や特徴があるが、地域に住む人にとってはフラワー長井線がある風景そのものが、何ものにも代え難い故郷の姿になっている。毎日運行を続ける陰にあるのは、車両整備、線路の管理をしている人々の一途な仕事だ。
入社して以来、年間、鉄道施設に関わってきた押切榮さんは、日々の検査が何より大切だと語る。「とにかく現場で見ること。お医者さんと同じで定期的に見ていれば具合が悪いことに気づきます。鉄だから壊れない、ということはなく、夏になれば暑さで線路が伸びる音がするし、走っている音も毎日違う。現場の人間しか気付けないことがあるので、生き物と同じように大切に見守っています」。こういった真摯な姿勢は若手にも脈々と受け継がれている。
一昨年、山形鉄道に入社した小平琉稀さんは埼玉県出身。幼い頃より祖父の実家がある高畠町を訪れ、次第に山形で就職したいと思うようになった。入社後2年間は車掌業務をしながら運転士になるための勉強を重ね、2020年7月に晴れて運転免許を取得。8月からフラワー長井線の運転士として運行を任されている。
山形鉄道では運転士も点検と簡単な整備を行っていて、3ヶ月に1度の交番検査ではエンジンを分解し、不具合が出たときの対応力を養っている。「6車両の一つひとつに癖があって、同じように運転しても、速度の感覚が違うんです。調整しながら安全に定時に着くような運転を心がけています」と、語る小平さん。乗客の命を預かる業務にプレッシャーを感じながらも、自身が運転する車両に対する愛情と、乗客に対する感謝を胸に、今日も安全運行を続けている。
心をつなぎ
地域に愛される鉄道
人々の想いを乗せて、未来へ
フラワー長井線は、2023年に全線開通100周年を迎える。2014年の赤湯長井間開通100周年の折には、地域の人々が沿線沿いから列車に手を振って応援する「スマイルプロジェクト」が始動し、路線運行に携わる人々を元気づけた。地域に愛されるローカル鉄道は、県外から訪れる鉄道ファンにとっても魅力的な存在で、列車はもちろん、歴史を重ねた駅舎の風情や地元の食べ物、地域の人との交流を楽しみにしている人もいる。地域の価値を再発見し、活力を生み出す可能性があるフラワー長井線には、様々な人の想いが乗っているのだ。
INFORMATION & MAP
- 山形鉄道株式会社
- 〒993-0084 山形県長井市栄町1-10
- TEL:0238-88-2002
- FAX:0238-88-5187
- https://flower-liner.jp/