置賜に残る、縄文時代の遺構

飯豊町萩生はぎゅう地区、県道10号線沿いの田んぼの中に1棟の竪穴住居を見ることができる。周辺にそれ以外の遺構はなく、そこだけぽっかりと縄文時代の空気を宿した佇まいは、そのまま通り過ぎるには気にかかるような存在感である。この萩生石箱はぎゅういしばこ遺跡は、1972(昭和47)年の発掘調査により発見された縄文中期の遺跡で、竪穴住居跡と炉跡ろあと、数種の土器が出土している。
町の指定文化財で1986(昭和61)年に遺跡保存会により2棟の竪穴住居が復元されたが、現在は老朽化により、2010(平成22)年に再復元された1棟のみ残っている。昭和40年代は高度経済成長により全国的に大規模な開発が行われた時期で、各地で遺跡発見と発掘調査が相次いだ。置賜地域でも多くの遺跡が発見され、縄文時代の人々の気配を感じられる場所が点在している。

自然や社会と共生する意識

現代の私たちと同じ分類となる現生人類(ホモ・サピエンス)が進化したのは約20万年前といわれ、そこから数万年前までを旧石器時代という。地球は寒冷で、大陸と陸続きだった日本列島にナウマンゾウやオオツノジカなどの大型動物が生息していた時代。石を加工して槍などの道具を作り獲物を追って移住していたが、地球が温暖になると定住化が始まる。竪穴住居を構え、粘土を捏ねて野焼きした縄文土器を作り出した縄文時代の始まりである。世界的に見ると農耕や牧畜が広がっているが、海によって切り離された日本列島の人々は、自然の恩恵を受け取る狩猟採集によって生き続けた。その期間は約1万6千年前から約3千年前までの実に1万3千年ほど。長大で安定した争いのない時代、自然に適応した自給自足の暮らしや社会構造が、持続可能な社会を模索する私たちに与える気づきは大きい。

縄文時代の特徴は、土器を作り煮炊きに使用していたこと、小型動物を狩猟するために発明した弓矢の使用などが挙げられる。5、6棟の竪穴住居が集落を形成していることが多く、その地域の生態系に応じてそこに住むことができる最大人数の集落になっていたとみられる。長井市の長者屋敷ちょうじゃやしき遺跡や白鷹町の八幡台はちまんだい遺跡のように、台地上で川が近い場所が好まれた傾向があるが、高畠町押出おんだし遺跡のように湿地帯に集落があった例もある。集落はそれぞれ独立しているものの、物資の交換は広域で行われていて他集落への協力関係もあったと考えられる。
うきたむ風土記の丘考古資料館館長の渋谷孝雄氏は「集落があまり大きくなると、広範囲の移動が必要になるので最小単位だったのだと思います。何かを滅ぼすということがなかった時代。自然や人や社会と共生する意識は、縄文時代の最大の特色といえるでしょう」と語る。

縄文に根差す精神世界

 縄文時代の遺跡からたびたび発見されるものの一つに柱を建てた遺構がある。煮炊きや建築の跡が見られない柱列の遺構は、青森県の三内丸山遺跡、石川県の真脇遺跡などで見つかっている。長井市の長者屋敷遺跡からは、1998(平成10)年に4本の柱跡が発見された。この4本柱跡に位置して冬至の日没を観測すると4本柱の対角線の延長方向に太陽が沈み、春分・秋分の時期に日の出を観測すると柱列の中央部から太陽が昇る現象が見られた。
長井市観光文化交流課で埋蔵文化財を担当する海藤元げん氏は、この4本柱に縄文人の精神世界を垣間見るという。「当時とは天体の動きが違う部分もあるかと思いますが、東側の柱の影が西側の柱の影と重なるという現象を特別に感じ、ハレの日として人々が集まったりした可能性はあると思います。太陽に対して特別な思いがあったのかもしれません」。

縄文時代の遺物として見られるのが石槍、石鏃せきぞくなどの狩猟用の道具、調理用の石臼や煮炊き用の土器である。これら日常生活に不可欠なものを「第一の道具(※1)」と呼ぶ。それとは対照的に用途不明の「第二の道具(※2)」が多く出土しているのも縄文時代の特徴である。女性の体を思わせる造形の土偶、男性器を象った石棒せきぼう石冠せきかんなどで、子孫繁栄や健康への願いが込められているのではないかと推量されている。
機能が容易にわかる「第一の道具」は温暖期でもっとも人口が増えた縄文中期のものが多いのに比べ、「第二の道具」は寒冷期に入り人口が減少した縄文晩期のものが多い。海藤氏は「縄文時代の人々は日々の暮らしが困難になるにつれて目に見えない精神世界の充実を図り、集団の結束を獲得しようとしたのかもしれません」と、見解を示した。
※1※2 考古学者で國學院大學文学部名誉教授の小林達雄氏が提唱。

巡り合い浮かび上がる、縄文

縄文土器には500以上の型式があり、つくられた時期や地域によってその文様や形は様々だ。遺跡ごとに出土した土器を分析することで、その遺跡が営まれた年代や交流があった地域を判別することができる。縄文土器といえば一般的に、独創的な形状の火焔土器が知られているが、簡素な形状のものから複雑な文様のものまで様々に存在する。刻まれた装飾には作り手の創意と人間性が滲む。
途方もなく長い歴史を辿った縄文時代においては、現在の土地区画や歴史区分で特徴をまとめることはできない。浮かび上がるのは、集落ごとに生活に必要な道具を作り、自然に適応した食料採取で定住を可能にした生存戦略と、物理と精神が曖昧に溶け合った縄文的世界像である。ただ、この地で遥か古代に想いを馳せるとき、命をつなぎ、私たちの文化の深層を形成してきた縄文人の息づかいを感じることができるだろう。

置賜地域の資料館・遺跡

アルカディア地域には旧石器時代から縄文時代、弥生時代、古墳時代の遺跡が数多く存在します。
縄文時代草創期〜早期 /大野平遺跡(南陽市)、前期〜晩期/長者屋敷遺跡・宮遺跡(長井市)、八幡台遺跡・石那田遺跡(白鷹町)、町下遺跡(飯豊町)、谷地遺跡・下野遺跡・墓窪遺跡(小国町)。
また、古代の丘考古資料館(長井市)、熊野大社考古館(南陽市)、飯豊町町民総合センター「あ〜す」(飯豊町)、おぐに開発総合センター(小国町)では考古資料の展示を行っており地域から出土した遺物を実際に見ることができます。詳細は各施設へお問い合わせください。

INFORMATION & MAP

長井市古代の丘資料館
〒993-0063 山形県長井市草岡2768-1
TEL:0238-88-9978
開館時間/9:00~16:00
休館日/月曜(祝日の場合翌日休み)
入場料/無料(企画展会期中は100円)
山形県立うきたむ風土記の丘考古資料館
〒992-0302 山形県東置賜郡高畠町大字安久津2117
開館時間/9:00〜17:00(入館は16:30 まで)
休館日/ 月曜・祝日(こどもの日・文化の日を除く、年末年始)
入館料/200 円、大学生: 100 円、高校生以下