2026年7月13日(月)
海の京都DMOのJesse Efronさん、株式会社みたての庄司さんと『小松織物工房』にて旅行会社に向けたインスペクションを行いました。
白鷹の地で受け継がれる、幻の「板締め小絣」

白鷹町を代表する伝統工芸のひとつ、「白鷹紬」。
この日は、小松織物工房6代目であり、伝統工芸士でもある小松さんから、白鷹紬の歴史や特徴、他の織物との違いについて、じっくりとお話を伺いました。
さらに今回は特別に、普段なかなか見ることのできない工房の中まで見学させていただきました。
実際のものづくりの現場を見ながらお話を聞いていると、白鷹紬が単なる「昔から残る伝統工芸」ではなく、この土地の産業や暮らし、そして人々の仕事と深く結びつきながら受け継がれてきたものだということが見えてきました。
なぜ、白鷹の地で織物が盛んになったのか

白鷹紬は、白鷹町でつくられる先染め織物の総称です。
白鷹町を含む置賜地方では古くから養蚕が盛んで、絹織物の文化が育まれてきました。
では、なぜこの地域に織物が根付いていったのでしょうか。
今回、小松さんから伺ったお話の中で印象に残ったのが、「最上川」の存在でした。
最上川を通じて、置賜地方と京都などを結ぶ舟運があったこと。
地域でつくられた紅花や紅餅、絹などが最上川を通じて運ばれ、遠く京都まで届けられていたといいます。
白鷹を含む置賜地方で生まれたものが、最上川を通じて外へ出ていく。
そして外からも文化や技術が入ってくる。
こうした人や物の行き来が、この地域のものづくりを育てる背景のひとつになったのではないか、というお話でした。
「白鷹紬」という一つの伝統工芸を見ているだけでは分かりませんが、その背景には、川を使った物流や他地域との交流がありました。
伝統工芸は、その土地だけで完結して生まれるものではなく、人や物、技術の行き来の中で育っていく。
そんなことを考えさせられるお話でした。
冬の仕事として、地域の女性たちが織っていた

そして、もうひとつ印象的だったのが、かつての白鷹の暮らしと織物との関係です。
昔の農村では、春から秋にかけては農作業が中心となります。
では、雪に覆われ、作物を育てることのできない冬はどうしていたのか。
その冬の仕事のひとつが「織物」だったそうです。
地域の女性たちが工房に集まり、織物の仕事をしていた。
一人の職人が工房にこもってものをつくるという現在のイメージとは少し違い、地域の女性たちにとって織物は、冬の貴重な仕事であり、生活を支える産業でもありました。
白鷹で織物が盛んになったという歴史の裏側には、こうした地域の暮らしがあったのです。
雪国だからこそ生まれた時間。
農作業ができない冬だからこそ、家の中でできる仕事として受け継がれてきた技術。
そう考えると、白鷹紬は「伝統工芸」という言葉だけでは少し距離があるように感じます。
それはかつて、この地域で暮らす人々の生活そのものだったのだと思います。
小さな模様の中に詰まった、驚くほど細かな技術

そんな歴史の中で培われてきた白鷹紬の大きな特徴が「板締め小絣」です。
白鷹の織物の特徴である小さな絣模様は、経糸と緯糸を「板締め染色」という貴重な技法で染めることから生まれます。
染め上がった糸を、ただ織っていけば模様になるわけではありません。
先染めされた経糸と緯糸を一本一本正確に合わせながら織ることで、小さな亀甲や蚊絣などの非常に細かな文様が表現されます。
この「板締絣」は全国でも白鷹だけに残る技法として紹介されており、白鷹は絣織物の産地として「北限の絣」とも呼ばれています。
実際にお話を伺うと、その細かさは想像していた以上でした。
絣板を使って糸を染め、染め上がった糸を整え、さらにその糸を一本一本合わせて織っていく。
熟練した職人でも一日に織ることができるのは、わずか30~50cmほど。
完成した反物を見るだけでは分からない、気の遠くなるような手作業の積み重ねです。
一度は途絶えかけた、白鷹の織物

そんな白鷹紬も、決して順風満帆に現在まで残ってきたわけではありません。
小松さんから伺ったのは、化学繊維や化学染料の発展によって、白鷹の織物も一度は途絶えかけたというお話でした。
より安価で、効率よくつくることのできる化学繊維。
色を安定して染めることのできる化学染料。
時代が進み、ものづくりの環境が大きく変化する中で、手間と時間のかかる白鷹の織物は、次第に厳しい状況へと置かれていきました。
もともと板締め小絣は非常に手間のかかる技法で、大量生産には向いていません。
大正期には白鷹町で米琉が12万反も生産されていた一方、現在では当時の板締め小絣の表現技法をすべて再現することは難しくなっており、専業の板職人もいなくなっているとされています。
「昔から続いているから、今も当たり前に残っている。」
実際には、そんな単純な話ではありません。
時代の変化によって、一度は消えかけた。
それでも、つくり続けた人がいたから、現在まで残っている。
そう考えると、目の前にある一枚の織物の見え方も変わってきます。
紅花が下火になった理由も、時代の変化だった

白鷹の歴史を語るうえで欠かせない「紅花」にも、似たような時代の変化がありました。
紅花は古くから染料や口紅などに利用され、置賜地方で生産された紅花は最上川舟運によって京都などへ運ばれていました。
白鷹町では現在も紅餅の生産が続いており、紅花文化は地域を代表する文化のひとつとなっています。
一方で、紅花の栽培が一度下火になった背景にも、化学染料の発展などがありました。
天然の紅花から染める赤は、日光にさらされることで色が褪せやすいという特徴があります。
さらに、紅花は手間がかかり、染料としても高価なものでした。
化学染料が普及していく中で、より安く、安定した色を得られるものが選ばれるようになり、紅花を取り巻く環境も大きく変わっていったそうです。
白鷹紬と紅花。
どちらも、この地域に長く根付いてきた文化でありながら、近代化や化学技術の発展によって一度は厳しい状況に置かれた。
そんな共通点があることも、今回のお話を聞いて初めて強く意識しました。
白鷹の「紅」と「織」のつながり

そんな白鷹だからこそ、紅花と織物が出会うことで生まれるものがあります。
小松さんは、白鷹町からの依頼を受け、紅花を使った反物の制作もされています。
そのひとつが、白鷹町にある作品「紅花先染め振袖」です。
高い技術力と集中力が必要とされる染めの工程を八度にわたって繰り返し、白鷹町産の最上紅花で絹糸を染め上げて仕立てた、まさに「日本の紅をつくる町」のシンボルといえる作品。
白鷹で育てられた紅花。
白鷹で受け継がれてきた染めと織りの技術。
それらが一枚の布の中でひとつになる。
「紅花の町」と「織物の町」という二つの顔を持つ白鷹だからこそ生まれるものなのだと感じました。
一枚の織物は、たくさんの職人の技術でできている

今回、小松さんから細かく説明していただいたことで、特に印象に残ったのが、白鷹紬は決して「織る人」だけで完成するものではないということです。
板締め小絣には、絣板をつくる技術、糸を染める技術、染め上がった糸を整える技術、そしてそれを正確に織り上げる技術があります。
それぞれの工程に、それぞれの職人の技術が必要です。
小松織物工房の公式サイトでも、「板締め小絣は、絣板をつくる板職人の技に集約されてきた」と紹介されています。
かつては、それぞれの工程を担う職人が地域にいて、その技術が連なって一枚の織物が生まれていました。
しかし、時代とともに職人が減り、現在では失われてしまった技術もあります。
つまり、今見ることのできる白鷹紬は、「昔とまったく同じもの」が残っているのではありません。
失われたものもあり、残ったものもあり、その残った技術を現在の職人たちが受け継ぎながら、今の白鷹紬をつくっている。
そのこと自体が、この織物の歴史なのだと思います。
「残す」だけではなく、「次へ渡す」

今回の見学で、もうひとつ嬉しかったのが、若い世代の方が白鷹紬に興味を持ち、小松織物工房で働きながら技術を学んでいるというお話でした。
白鷹町外からこの伝統に魅力を感じてやってきた方もいるそうです。
伝統工芸というと、「後継者不足」という言葉がどうしても先に浮かびます。
実際、白鷹の板締め小絣を取り巻く環境も、決して簡単なものではありません。
だからこそ、新しくこの技術を知り、学びたいと思う人がいることには大きな意味があります。
伝統を残すということは、昔のものをそのまま保存することだけではないのかもしれません。
技術を知る人がいて。
その技術を教える人がいて。
そして「自分もやってみたい」と思う人がいる。
そうやって次の世代へ渡っていくことで、伝統は初めて未来につながっていくのだと思います。
白鷹紬を「見る」ことから、その土地を知ることへ

今回、小松さんからお話を伺い、工房の中まで見学させていただいたことで、白鷹紬に対する印象が大きく変わりました。
これまでは「白鷹町には伝統的な織物がある」という認識でした。
けれど実際には、
なぜ白鷹で織物が盛んになったのか。
なぜ冬の仕事として地域の女性たちが織物をしていたのか。
なぜ最上川を通じた交流が、この地域の産業に影響を与えたのか。
なぜ一度は途絶えかけたのか。
そして、なぜ今もこの技術が残っているのか。
一枚の織物を入口にすると、白鷹という土地の歴史や、人々の暮らしまで見えてきます。
これは伝統工芸を観光で伝えるうえでも、とても大切なことだと感じました。
「白鷹紬を見に行く」だけではなく、
「白鷹紬が生まれた土地を訪れ、つくり手の話を聞き、その技術を目の前で見る。」
そこまで体験することで、織物は単なる「もの」ではなく、この土地を知るための入り口になります。
今回の小松織物工房での時間は、白鷹紬という伝統工芸を知るだけでなく、白鷹という土地がどのように人と仕事と文化を育んできたのかを知る時間にもなりました。
長い年月をかけて受け継がれてきた技術。
一度は途絶えかけながらも、守り続けてきた人たち。
そして、その技術を次へ渡そうとしている人たち。
そのすべてが重なって、今、私たちが見ることのできる一枚の「白鷹紬」になっているのだと思います。
■小松織物工房
Instagram:komatsuorimonokobo
TEL:0238-85-2032
〒992-0821
山形県西置賜郡白鷹町大字十王2200
















