水を根源とする
神秘の里 
受け継がれる
信仰

龍が住む太古の谷

長井市の西部にそびえる朝日山地は、地下の冷えたマグマが地殻変動で隆起して生まれた古い山で、主な岩質は花崗岩かこうがんである。隆起のたびにひびが入り、風化浸食によって谷や川ができていった中の一つが三淵渓谷みふちけいこくだ。三淵渓谷は、自然化学的に興味深い独特な景観をしており、通常、谷の断面は傾斜がついたV字型になるが、岩質が硬いため、崖が垂直に切り立ち、断面は函状かんじょうになっている。また、河川も、蛇行ではなく直角に曲がる雷光型の形状で、大量に雨が降ると、荒々しい流れへと変わる暴れ川でもある。大雨が降る度、里に鉄砲水が流れ、甚大な被害を及ぼしたことから、人々は「三淵には龍神が住む」と信じてきた。

野川の清流

三淵渓谷を源流とする野川は、長井市の西から東へと流れて最上川に合流する。太古の昔から、山を削って土砂を運び、ここに扇状地を作り、人が住む大地を作った長井市の起源となる川でもある。また、三淵渓谷を占めている花崗岩は、花崗閃緑岩かこうせんりょくがんで、結晶の粒が大きく、成分が水に溶けだしにくい岩石である。ゆえに、流れる水は硬度が低い軟水だ。特に長井の地下水は、超軟水といわれるほど柔らかな性質を持っている。

修験者が集う聖域

龍神が住む三淵は、多くの修験者が集まる場所であったと伝えられている。三階滝を経て、三淵渓谷を目指し、尾根伝いに湯殿山ゆどのさんへ向かう出発点として、山岳信仰の聖域だった。

度々、水害に悩まされてきた長井の町場では、そんな聖域に対しての畏怖の念から、水神を祀る石碑などが建てられた。その中でも、治水を祈願するために、野川と最上川を三角に結ぶ段丘上だんきゅうじょうの高台に、延歴21年(801年)、總宮神社そうみやじんじゃが創建された。ここには、悲哀の姫の伝説と黒い獅子の舞いが伝承されている。

三淵に身を投じた姫の伝説

平安時代後期、陸奥むつの豪族である安倍貞任あべのさだとうが、長井を戦の要所と見て、自分の娘である花姫はなひめを遣わし治めさせていた。気丈で、武芸に長けた美しい姫は、一刻も早く、戦を終わらせたいという思いを抱いていた。しかし、その隙を敵将に利用されてしまい、情報を与え、長井が攻められることになってしまう。責任は自分にあると、心を痛めた姫は、三淵渓谷へ身投げしたという物語が「卯の花姫伝説」として残っている。

亡くなった後も、里の無事を案じていた姫の御霊は、三淵渓谷に住む龍神と融合して獅子へと変化した。それが、現代に脈々と受け継がれている長井の伝統神事「黒獅子舞い」である。

雨薫る幻想の町
黒い獅子が舞う

常世の平穏を祈り 
水神が舞う

黒獅子の起源は、康平6(1063年)ごろと言われ、源頼義が先勝祝いで獅子舞をさせたことが始まりと言われている。

獅子でありながら、顔に鱗の名残があり、髭を携え、蛇のような長い体をしているのは龍神の化身であるからで、また、陰陽道おんみょうどうの五行である水を司る色が黒であることから、黒色の獅子となっている。

一年に一度、姫の祈りと共に、黒獅子が里へと下りてくる。長井の人々は、この一念、無事に過ごせたことや作物の実りに感謝し、獅子を迎え入れ、生きる喜びを分かち合う。脈々と受け継がれている伝統を遡っていくと、神秘の谷とそこを起源とする水との深い関わりがあることを感じられる。

※由来、伝統には諸説ある。

雨を降らせる黒獅子

總宮神社に伝承されている黒獅子頭は、目が飛び出て、鼻が歪んだ、わざと醜い造形をしている。これは、獅子が山から里に降りてくる際、川が渇水していたので川原を歩いていた。その時、茨で顔を傷つけてしまったことに由来し、痛みの表情を彫り込んでいるからである。

顔を傷つけて以来、黒獅子は、雨を降らせて、川の水を増やし、泳いで降りてくるようになったと言われており、不思議なことに、長井で黒獅子まつりが行われる前には、必ずといっていいほど雨が降る。雨が上がると、お囃子にのって黒獅子の舞いが始まる。

INFORMATION & MAP

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總宮神社
 
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